終わりのない幸福を君に

 水曜日の夜、仕事が一区切りついて少しだけ早く退勤できた20:30。この時間ならまだあそこが空いていると思い向かうはおにぎり宮。

 朝昼ほど夜は混んでいないため暖簾をくぐるとそこに客は私しかいなかった。外行きの笑みを一瞬浮かべた治は私を認識するや否やいつもの無表情に戻った。

「お前何日振りやねん」

「先週来たやろ、毎日来いってか?昨日も行きたかったんやけど仕事がなんやなかなか片付かんくて」

「お前いっつもそれしか言わんよな。」

「最近会社と家の往復しか記憶にないわ」

「やばいな」

 いつものでええか?の問いにうなずく。いつものというかお任せなのだがその時々で治がおすすめを出してくれる。それがいつも丁度私の食欲を刺激する味でひそかに何が出てくるのか楽しみなひと時だった。

「飯ちゃんと食っとるんか?」

「合間にちょこちょこ食べてるよ、今日も昼食べたし」

「ちょこちょこって何やねん。お前またカロリーメイトで一日すごしたん?」

 なんで分かるん、と思って治を見上げたら私の顔を見るなりあほちゃうか。とため息交じりに言いながらどん、とトレーを置いた。今日は治チョイスの桜えびとあおのりのおにぎりと梅干ひじきおにぎりだった。ほうれん草のお浸しと具沢山の豚汁付き。

 人が作った温かいご飯というのはどうしてこうも食欲をそそられるんだろう、匂いを嗅いだ瞬間自分の空腹を自覚した。

「朝起きて身支度して会社行って会社でごはんたべよー思ってたんやけどメールぎょうさん溜まってたんよ、それ相手してたらいつの間にか昼やろ?んでカロリーメイト食ってまた仕事して今。」

 味噌汁を啜ると優しい濃さと丁寧に取られた出汁の味がする。思わず頬が緩む。視界の隅に映る治も心なしか嬉しそうだった。

「ほー、会社員様は忙しいなあ」

「嫌味か。治のほうが忙しいやろ、私なんて幾らでも替えが利くけど治のおにぎりは治にしか作れへんよ」

「変わりが居るならそんな死ぬほど頑張んなや」

「まあ死なんけどな、こんな生活でも身体は健康やし」

「身体やのうて心が死ぬぞ。俺の飯食え。」

「はは、それプロポーズみたいやな」

「プロポーズでもええよ」

 一瞬ドキリとしたがいつもの冗談だと思い何言ってんねん、と笑ったが、治はいいから黙って食えとおにぎりを指さした。不自然なくらいの真顔にもしかして指輪でも出てくるんかと思いながら言われるがままおにぎりを食べたが中身は具だけだった。

 2つ目も口に頬張る。治は黙って私を見つめている。店内に小さく流れるラジオだけがこの店の中で声を発している異様な空間だった。 

 全て完食し、箸を置く。ごちそうさん。というと治は「おう」と、答えた。それだけかい。

「なんやじーっと見られながら食べるん緊張したわ」

「それはすまん。で、美味かったか?」

「…美味かったかけど、何やそれを気にしてたん?」

「うまいもん食ったら幸せやろ」

 自身有りげな顔をして治が言う。言ってることはわかるけど文脈が読み取れない。 

「やからコンビニ飯とか冷たいもん食うんやなくて俺の飯を食え、毎日でも来い、これないんやったら俺がお届けしてるから」

「何言ってんねん、気持ちはありがたいけど治のおにぎりはうまいけど毎日は無理やで。お届けなんてあんたも無理やろ」

「おにぎり宮の宮治やったらおにぎりしか作られへんし宅配サービスに代行してもらうしかないなあ、確かに。」

 そう言ってあっけらかんとした顔で笑う。

「でもお前の旦那としてならたまにはおにぎり以外も、弁当も作ってやれるで」

 そしたら毎日幸せやろ。と付け加えてきた。

「今日のボケ長ない?どうしたん?」

「ボケちゃうで、分かれや。」

「うそやん」

「嘘やない」

「告白通り越してプロポーズしてくるやつ初めて見たわ」

「最初で最後や。こんな良物件ほかにないで。」

「自分で言うなや」

 治は確かにいい人だと思ってたけど、こうも急にアプローチをされると調子が狂う。幾らイケメンで料理が上手で面白いとはいえいきなり婚約はハードルが高すぎる。

 どうこたえるべきか分からずに戸惑う。キッチンからぐつぐつとお湯が煮えたぎる音がする。治は急須にお湯を注ぐ。緑茶の匂いがキッチンに広がった。

「…じゃあ、今すぐ結論出せんのやったら、とりあえず付き合ってみん?」

 そう言ってお茶を私の目の前に置くと私に目線をを合わせてそう言ってきた。

 まるで断られることを想定していないかのような笑顔だった。私に目をやるとそのまま自分の分のお茶も注いだ。治はキッチンを抜けて店先の暖簾を仕舞う、そのまま私の横に腰掛けた。

「とりあえず明日は代わりのいる仕事は休んでデート行こな。定休日やし。」

「まだなんも言ってへん」

「断るつもりあるん?」

「…ないけど」

「じゃあええやん。」

 そう言って治は私に徐々に近づき、頬に手を添えてキスをしてきた。

「俺は#dname#のこと好きやったよ、ずっと。早く俺のモンになって幸せになればいいのにって思っとった。」

 私はこの数十分で致死量のトキメキを与えられてまともに頭が働かない。治の長い腕の中に手繰り寄せられる。ご飯の香りの中に少しだけ治の匂いが広がった。
 その瞬間、張り詰めた感情が穏やかになるのを感じた。色々まだわからない事はあるけどとりあえず治が言う通り美味しいご飯を食べて治いつもみたいに話せたらそれだけで幸せかも。と思い描きながら胸の中で目を伏せた。


(2024.03.06)

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