貴方が必要だから

※17巻後のフィクション

 及川先輩は、最初はすごく鬱陶しい先輩だった。

 前評判から顔は知っていた。誰にでも優しい女たらしだと思っていたから絡まれても相手にしなかった。だけど、軽薄に見える表面を取り除いて彼を見つめなおしてみると、言っていることや行動に整合性はあって、本当は堅実な人なのではという疑念が生まれた。

 それから彼との距離が縮まるのは早かった。

 彼に興味を持った途端、ずるずると私は嵌っていった。バレー部として活躍し、大会でも注目を浴びている選手だということもその時知った。はじめは耳を疑ったが、放課後に体育館を除いたら嘘ではないことが判った。いつも私に絡んでくる及川先輩とは似ても似つかない人が、コートの中に居た。

 それが起因したのか、いつからなのかは今でもよくわからない。

 気づけば私は及川徹という人に恋愛感情を懐いてしまった。

 挙句、交際を始め、今に至っている。

𓍰𓍰𓍰

 それから長い間、彼の側に居たから分かること。及川先輩は一見すればただのチャラチャラした高校生だけど、芯は強くて、誰よりもチームのことを考えている。すごく真面目で、責任感が強い人。 

 いつだって格好良くてキラキラしていた。そんな彼が、まさか、ここで負けるなんて。白鳥沢だけが敵だと思っていた、でも違った。いつか及川先輩が言っていたくそ生意気な後輩が彼だとコートの様子を見て分かった。

 準決勝を終え、決勝に備えて磨かれるコート。ざわつく体育館。他の選手たちも散り散りになっていく。私が待ってしまうと水を差してしまうため、先に帰る旨連絡を入れた。部員でご飯を食べに行くことになったけど少しだけ抜けられるから、ちょっとだけ待っててほしいと返信が来たため、大人しく彼に従った。

「お待たせー寒くない?大丈夫?」

「お疲れ様です。私は全然寒くないです、及川先輩こそ大丈夫ですか?」

「俺は全然へーき、」

 そう言いながら、及川先輩は優しく私の頭を撫でた。その表情は慈しみの表情というよりは、苦く、戸惑うような表情をだった。
 私は先輩にこんな顔をさせるためにここへ来たのではない。本当は、私が勇気づけて、彼を笑顔にするべきなのに。私がここにいるせいで、彼に余計辛い表情をさせてしまっている。

「ごめんね。ああ、もっと格好良いところ見せるつもりだったのに、」

 悲しいのは、私だけじゃないのに。その言葉に、我慢していた感情があふれだす。ぼろぼろと涙が溢れる。それを見た及川先輩が、「これしかないんだ、ごめんね。」と言いながら、スポーツタオルを私に手渡してくれた。

 及川先輩は何も悪くないのに、何度も謝らせてしまっている自分に苛立ちが募り、更に涙がふえた。タオルに顔を沈めると、先程まで戦っていた、及川先輩の匂いがした。最後の一球が頭から離れない。あの一瞬が、スローモーションのように何度も私の頭のなかを駆け巡る。私よりも何倍も、及川先輩のほうがつらいのに、私が泣いてしまっては、及川先輩が泣けないじゃないか。

「先輩は、格好良かったです。いつも、ずっと、格好良かったです。先輩のことずっと見てきた私が言うんだから、間違いありません。」

 見上げると、驚いた表情の及川先輩と目があった。及川先輩の表情が柔らかくなり、私から目を逸らしながら、ありがとう、と呟いた。

「俺、ほんと、#dname#ちゃんになさけねーとこばっかり、みられてるなあ…」

「彼女なんだから、いいじゃないですか。情けないところくらい、見せてくださいよ。」

 そうだね、と柄にもない返答が返ってきて、二人とも、目を潤ませながら、笑いあった。及川先輩の口から、ぽつりぽつり、と試合での後悔が語られる。あのとき、俺がちゃんと見れていれば。皆の最大値を引き出せていたら。そんなことばかりをひたすら後悔していた。 

 私は共に戦った仲間ではない。だから、軽々しくそんなことないよだなんていうことが出来ず、ただ及川先輩の言葉に優しくあいづちを打つことしか出来なかった。

「…よし、決めた。」

 ひとしきり弱音を吐いてすっきりしたのだろうか。先程より芯の通った声でそう呟いた。

「#dname#ちゃん、俺はきっと、これから先もバレーを続ける。きっと今日みたいなことは沢山ある。このまま付き合ってても、今までみたいに時間を沢山作ってあげることも出来ないし。旅行だってろくに行けないかもしれない。」

 いきなり何を話し始めたんだろう、もしかして、バレーに専念したいから別れようとでも言うのだろうか。最悪の想像に身構えながら、いきなりどうしたの?と尋ねる。彼の表情は至って真剣なまま、話を続けた。

「でも、それでもいいなら、卒業したら俺と婚約してくれない?」

 ずっと側に居て欲しいんだ。そう言って、私に視線を合わせる。想像とかけ離れた言葉に、私の動きが止まった。あれ、冗談モードの及川先輩にでもなってしまったのだろうか、そう思ってもう一度顔を見てみるが、その表情は真剣そのものだった。

「私まだ、17ですし、それに進学希望なんで、今すぐにとかは……」

 思ったことを口にする。我ながら可愛げのない回答だと思う。でもそんな数年後に結婚だなんて考えたこともなかったから仕方ない。

「そうだね、今すぐじゃない。婚約だなんて言ったけど、ただ、一緒に居て欲しいだけ。」

「婚約は、#dname#ちゃんの、準備が出来るまで待つよ。だからさ、ずっと一緒にいて。俺の決意表明だから。」

 及川先輩らしからぬ発言に動揺するものの、その言葉はすごく嬉しかった。

「あたりまえじゃないですか。」

 何言ってるんですか、後輩に負けて性格まで変わっちゃったんですか。そう言って笑うと、むくれたような笑みを見せて、そうじゃないよ、と呟いた。笑っていると、頬に熱さを感じた、及川先輩の掌が私の頬を包み込んでいた。すると、目の前に及川先輩の顔が現れ、視界が暗くなる。ゆっくりと、唇の食感を味わうかのようなキス。

「俺、#dname#ちゃんが居ない人生なんて考えられなくなっちゃったのかもしれない。」

 だから、早く、俺のこと慰めてよ。なんて笑う及川先輩に、ばかじゃないですか。と言いながらも、きっと私の顔は赤かったと思う。そろそろ、集合しなきゃ、と言いながら、私の手を名残惜しそうに離して体育館へ向かう及川先輩の手は、いつもより少しだけ、温かかった気がする。


(2025.01.02)

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