ニコラシカを飲み干して

 私が一人で運営をはじめたbar「en」は水・金土日祝のみの不規則な営業だが、チャームとして提供している自家製ケーキとミクソロジーバーとしてのオリジナルカクテルが評判を得たおかげでそこそこ人入りはあるお店になった。

 一人でもくつろぎやすいように。とテーブル席とカウンターを視覚的に区切り、バーカウンターからはそれぞれどちらも見渡せるようなレイアウト。思い思いに時間を過ごされているところを眺めながらカクテルを作るのが私の仕事であり一番やりがいを感じる瞬間だ。

「じゃあさ、#dfam#さんって彼氏いるの?」

 人目を気にせず楽しめるように、と配慮したのが裏目に出てしまうときがたまにある。俗にいうナンパだ。
 今日は珍しく初見の1名様が来たと思えば来店時にはすでに酔いが回っているようだった。
 お店は一人でやっているのか、など色々問答をしているとそのうち「#dfam#さんおきれいですよね」などと言いはじめ、ついにはこれだ。面倒だからと一蹴したい気持ちはあるがここは私の店。私の命がかかっている。背に腹は代えられないため、あたり障りのない返事をしながらなるべく早く帰っていただく方法はないかと思案しているとドアにつけたベルが新規客の訪れを知らせた。

 とりあえずは助かった。と思いながらドアに目を配ると、入ってきたのは常連になりつつある甘党の月島さんだった。

 すみません。と一言お客様に断りを入れた後、月島さんをなるべくこの人から遠いカウンター席に誘導した。月島さんはお客様を一瞥したあと、「もう新しいカクテル出来たんですか?」といつもよりもわざとらしいくらい人の良い笑みを浮かべながら私に尋ねてきた。

 一瞬面くらったが何かいいことでもあったのかな、と思いながらメニューを渡す。

「ちょうど今日から入れ替えです。イチゴが多めになっちゃいました。ちなみにこちらはクリームもお載せ出来ますのでお申し付けください」

「今回もおいしそうですね、最後に頼みます。まずはジントニック一つ。ジンはお任せで。」

「…?かしこまりました。」

 月島さんはいつも当店特製カクテルを一杯とチャームを楽しんで帰る人だった。前にカルーアミルクしか飲めないと相談を持ち掛けられた時に会食に選ばれそうな飲食店に揃えてあるであろうリキュールやジンで幾つか月島さんでも飲めそうなドリンクを提案したことがある。だが、わざわざこの店で積極的にそのようなドリンクを選ぶことはなかった。もしかして意中の人でもできたからデート用に飲み慣らしておこうとか、そういった感じなのかな。
 今までそういった話は出てこなかったしバーにも連れてこないのだから、てっきりそういった人は居ないのだと思っていたけれど、思いがけず見えた女性の影にずきり、と心が痛む。そんな自分の感情に違和感を覚えながらも、きっと常連として色々聞いてきたつもりだったが、何も知らされていなかったことに対する心の痛みだと整理した。
 詮索してみることも可能だったが、これ以上自分の傷口が広がるのが怖くて特に質問もせずにオーダーを作ることにした。とはいえ気持ち薄め、なるべく甘みが感じられるような組み合わせでジンとトニックを選ぶ。

「そういえば先日来た山口って覚えてますか?すごくここを気に入ってて、今度共通の知り合いと集まる機会があるんですけど、ここまた予約させてもらってもいいですか?」

「覚えてますよ、え、それは嬉しい。ぜひ!何名くらいですか」

「どれくらい集まれるかはまだ見えないんですけど、15名行かないくらいにはなるので出来れば貸し切りでお願いしたくて。最少人数超えてなかったら追加料金払うので。」

 先日、月島さんが珍しく人を連れてきたかと思えばどうやら幼馴染らしい、山口さんは色々と話しをしてくれたが要所要所で月島さんが何か口止めをしていた。どうやら色々あまり公にしずらい話しがあるらしい。
 まあお客様の事情なんて人の数ほどあるのでそれほど気にも留めなかったが、あの時の月島さんは一人でいる時よりも表情が豊かで見ていても楽しかったことを覚えている。

 そんな月島さんが今度は大人数を連れてくるなんて珍しいな。なんてちょっと失礼なことを思いながら了承する。日付が分かったらLIMEかInstagromに連絡してください。と言って出来上がったジントニックを差し出す。月島さんがそれを一口喉に滑らせるとそのやり取りを見ていた先ほどのお客様が口を開いた。

「ずいぶんと仲がいいんですね」

 LIMEもInstagromもお店の連絡先なのだが、多分私の個人連絡先だと思ったのだろうか、お客様が恨めしそうな視線で月島さんに話しかけた。せっかく席を離したのにも関わらず月島さんにお客様が絡んでしまった。最悪だ。どうしよう。

「…まあ親しくさせてもらってますね」

 月島さんは彼を一瞥し、意味ありげな笑みを浮かべてそう答えた。"親しい"が違う意味に聞こえるが決してそんな関係ではない。でもそう捉えてもらったほうがこの場としては好都合かもしれない。なんて下種な考えを持ちながら私はノーリアクションに努めた。

「羨ましい。#dfam#さんお綺麗だし若いのに自分のお店持ってるなんですごいですよね、彼女なら男なんて引く手数多だろうに。そう思いませんか?」

「そうですね。#dfam#さんは僕が見てきた中でも一番綺麗な人だなって思います。」

「はは、でしょう。さらにカクテルも美味しいなんて非の打ちどころのない人だ。」

 そう言ってお客様は私を品定めするかのように見つめる。視線が気持ち悪い。そして内心面白くないことがありありとわかる愛想笑いを浮かべた月島さん。せっかく良い時間を過ごしに来てくださったのに、こんなつまらないことに巻き込んでしまったことに申し訳なさを感じる。
 一方で、たとえ嘘でもあの月島さんの口から綺麗だ、と言われたことが信じられず、つい照れてしまう。頬が熱くなっている。大人なんだからこんなことで慌てるな。と、心の中の自分を落ち着かせるように呼吸に集中した。

「…まあ、彼女は僕の大切な人なので、この店を贔屓にしてもらえるのは助かります。最近女性一人のせいか絡んでくる客が結構多くて困ってるようなので、もし見かけたら貴方からも注意して貰えますか?」

 月島さんが浮かべた笑みは、よく仕事の愚痴をこぼすときに見せる表情だった。笑顔なのに威圧感がすごい。その表情を見たお客様は肩がはねてしどろもどろになっていた。月島さんのいう「大切な人」は「僕の飲めるアルコールが提供できる近場のバーの店主」としての意味合いだろうと思うが多分この人は別の意味で捉えてるだろう。
  「そうですよね、ほんとに大変ですよね、次見かけたら俺からも言っておきます」そう言い終えた後にお会計お願いします。と小さな声でつづけた。先ほどの私への視線や表情が嘘のように委縮した彼に伝票を渡す。

 お会計を済ませて退店した彼を横目で追った後、月島さんが意地悪そうに笑う。

「…今日はずいぶん面倒そうなのに絡まれてましたね、大丈夫?」

「まあちょっと酔いが回ってたみたい、でも助かりました。ありがとうございます。あんな嘘まで言っていただいてちょっと申し訳ないです。」

「別に嘘は一つも言ってないけど」

「いやまたそんな、綺麗だとか大切な人だとかお世辞でも言っていただいてちょっと嬉しくなっちゃいました。これからも腕によりをかけて月島さんの好きそうなカクテルお作りしますね。」

「何か誤解してません?」

 月島さんがそう言って私をじ、と見つめた。

「別にバーテンダーの#dfam#さんとしてじゃなくて、ただの#dfam#さんとして綺麗だと思ってますし、大切にしたい人だと思ってます。…あとそのうちアイツが捉えた意味の通りになりたいとも思ってます。」

 そう続けた月島さんの言葉への理解が追いつかず、私は思わず固まる。お気に入りのケーキにも手がついていない上に珍しく頼んだジンのグラスはもう空だった。今日はいつも通りにいかない、なにかが違う。うまく返答ができない。
 意味を咀嚼しかねるかのように月島さんを見つめると、居心地の悪そうな顔を浮かべてああ、もう。と小さくつぶやいた。

「…こんな#dfam#さんが逃げられない場で言うつもりなかったんですけど、久々に来たらなんか変なのに絡まれてるし、追い払うのに可愛いカクテルじゃ威厳も無いなと思ってジントニック頼んじゃうし、これじゃさっきのやつと変わらないですね、出直してきます。」

 月島さんは半ばヤケクソみたいに心情を吐露してクレジットカードを机に伏せた。心なしか月島さんの頬も薄っすらとピンクに色づいているように見えた。そうか、ジントニック、そういう意味で頼んでいたのか。好きな人でもできたかと邪推した自分の心が少し晴れたことを自覚した。というか月島さん、そんな風に考えてくれてたんだ。月島さんなら可愛いカクテル持っていても迫力ありそうだけどな、と思いながらもそれが私のための行動だということにに自然とほほが緩んだ。

「…そういう意味と捉えていいのでしょうか」

「どういう意味か分からないけどそうですね、僕は#dfam#さんに惚れてます。でも今日こんなタイミングで言うつもりじゃなかったしさっきのやつと変わらなくてダサいので忘れて。」

 月島さんは水の入ったグラスを飲み干した。私はクレジットカードを受け取りながら彼の言葉をゆっくりと飲み込んだ。
 忘れて、なんていうけど忘れられるわけがない。そんなこと言われて受け流せるほど月島さんに対して無関心でいられなかった。

「…私、月島さんにならそういうこと言われても迷惑じゃないです、というかむしろ嬉しいです。」

 混乱しながらも思いの丈を伝えると、予想していない返答だったのか月島さんは目を見開いた。

「でも、私たちここ以外のことはほとんど何も知らないし、お互いの下の名前もわからないです。もしよければもう少し月島さんのことを教えてほしいです。」

 そう言ってクレジットカードとともにスマートフォンから連絡先を表示して渡した。月島さんは今までにみたことのない複雑な表情を浮かべながら私の連絡先を受け取った。ほとんど手を付けていなかったチャームを思い出したように口に含んだかと思いきや、また来ます。と言って退店してしまった。その後ろ姿をみてスマートで冷静だと思っていた月島さんのことをはじめて可愛いと思った。交換したLIMEをみる。

"月島蛍"

 ご丁寧にローマ字付きの表記。素敵な名前だな、と思いながら熱くなった身体を冷ますために洗いたてのグラスに自分用の水を注ぎ喉に流し込んだ。


(2024.03.03)

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