こうなる準備はできていた
「そういえば及川、アルゼンチンで帰化するかもだって」
「そうなんだ」
「いいの?お前は」
「なんの確認?もうとっくに及川とは別れてるから私には関係ないよ、サン・ファンでの成績も良いみたいだしオリンピックのこと考えたら妥当な選択じゃない」
「関係ないとか言いながらちゃっかり情報収集してるじゃん」
「…あくまでバレーボールのニュースを追ってるだけでその中にたまたまサン・ファンの情報があっただけ、意識なんてしてない、」
「ほんとお前らそういうところそっくりだよ、大学の時だってもう忘れました!みたいな顔してしれっと第二言語でスペイン語選考するし」
そう言って呆れたように笑う花巻を一瞥する。
「それで、及川ちょっとだけ日本に帰って来るってよ。」
そう言われたって別れて以来ほぼ連絡を取っていないんだから会う予定もない。きっと知らない間に日本に来て知らない間にアルゼンチンに戻るんだろうなと思ってたのに久々に見る名前がディスプレイに浮かんだ。
「やっほー久しぶり、今日本いるんだけど明日空いてる?」
「久しぶり。空いてるけど今私がどこにいるか分かってるの?」
「東京じゃないの?」
「なんで知ってるの」
「岩ちゃんが言ってた😉」
久々の連絡は色々いきなり過ぎたが悲しいことに明日は特になんの予定もなかったので了承する。19時ここで良い?と言われてもらった店は雰囲気も良くて料理も美味しそうな店だった。日本にいないくせにこういうのどこで仕入れてくるんだろうか。
*
「#dname#!久しぶり!今日はありがと」
「及川も久しぶり、元気?」
「うーん、#dname#ちゃんが居なくて寂しかったよ?」
「相変わらず元気そうで何よりです」
せっかく久しぶりの再会なのにみんなで相変わらずアタリ強いよね!ほんとにもう!そう言って唇を尖らすくだりは昔のままで思わず笑ってしまう。久々に見た及川は昔よりも少し大きくなってがっしりしていた。プロのスポーツマンであることは分かっていたが間近で見ると改めてその身体の作りに驚く。
お互いの酒のキャパシティを確認してからアルゼンチンではお目にかかれないという日本産のワインをボトルを注文した。甘くて芳醇な香りと緊張が相まってついついグラスを空けてしまう。それをみた及川がさり気なく水を二つ頼んだ。こういうところがスマートすぎてむかつく。きっと向こうで彼女でもつくって普段からそうしてあげてるんだろうな。と思ったら急に目の前の及川が遠い存在になった気がした。
ボトルといくつかのグラスを空けた頃、会計をして外に出る。及川は近くの駅前のホテルに泊まっているらしく帰路が同じ私は並んで歩いた。
「…それで、せっかくだしこのまま帰化しようかなって思ってる。」
「影山くんを倒すために?」
「もちろんそれもあるけどそれだけじゃないよ」
「そっかー、うっすらとオリンピックで日本代表として出てくるの期待してたんだけど」
「はは、ごめんね。代わりにアルゼンチン代表で来てあげるから許してよ」
「…帰化するなら絶対代表として勝ち進んでよね、日本と戦ってるときに及川映ったらあれ私の元カレって自慢してやる」
「え〜どうせなら元カレより彼氏のほうがかっこよくない?」
何いってんの、と言おうとした瞬間及川の唇が触れた。優しく触れるようなキス。唇が離れると及川は自分でもその行為に驚いたのか表情がくるくると変わったな。
「うわ、まって、ごめん、酔ったせいにしたくないけど軽率だった。嫌だったらごめん。」
「てか待って、#dname#彼氏いないよね?」
「…居ないけど」
居たらいいわけでもないだろと思っていると良かったぁと安堵した声が落ちてきた。
「…今日本当は言いたいことがあって、」
深呼吸の後、そう言って及川が私の手を握った。
「俺もう日本代表にはなれないけど、アルゼンチン代表としてまたここに来るし、アルゼンチン内のリーグでも俺が1番のセッターだって言えるようにいま頑張ってる。今すげえバレーが楽しい。後は横に#dname#がいてくれれば最高なんだけど、どう?」
にこにこしながら及川さんの隣、空いてますよと言って方を開く及川。
「もう古いよそれ」
「日本のコメディ事情はもうわかりません」
「だいたい付き合うったって遠距離すぎるでしょ」
「うん、だから#dname#にはすごく申し訳ないんだけどさ、アルゼンチンに来てほしい」
「は?」
「だから付き合うとか曖昧なものじゃなくて結婚しよ。#dname#一人アルゼンチンに住まわせられる位の余裕はあるよ、俺」
「ちょっと待って」
想像以上の話が出てきて混乱する。
「岩ちゃんから聞いてるよ、#dname#がスペイン語話せることもアルゼンチンバレーの情報をずっと追ってることも。準備なんて出来てるでしょ。」
俺のためって自惚れてたんだけど勘違いだった?と私と目線を合わせながらいう及川に私はなんて返せばよいか分からず口をすぼめた。花巻に言うように「及川のためじゃない」というのは躊躇われた。少なからず及川に影響された選択だということを自覚していたから。
「…まあどっちでもいいけど、でも俺とアルゼンチンに行くための障害は計らずしもなくなってるわけですよ」
そう言ってニコニコしている及川を見上げる。本気で言ってるの、と尋ねると及川は笑みは絶やさぬまま目を細めた。
「…高校のときは俺に付いてきてほしいなんて言えるほどの材料がなかったけど今なら言える。あの時#dname#を手放したときからいつか絶対取り戻そうと思ってたよ。」
お前のこと忘れたことなんて一度たりともないよ。
急に真剣な眼差しになった及川に目が逸らせない。
「…ゆっくり考えてみてよ、とはいえ俺としては早ければ早いほど嬉しいけど。」
そのセリフを残して及川は私を見送り去っていった。あまりに急な話しすぎて帰宅後も眠る前も仕事中も彼の言葉が脳内を巡っていた。
及川は最後の春高の後ふらっと東京に消えた。なんの用事で行ったのかわからないが、その数日後別れを持ち出された。卒業後もバレーを続けるしもしかしたら海外にだって行く可能性があること、先が見えない俺の都合で#dname#を振り回すのは耐えられないこと。
私だってそうなる可能性は考えてたし、それでも一緒に笑っていられればと思ってたけど反論できるほどの確実なものは何も持ち合わせていなかったので 及川の別れを受け入れるしかなった。
それからずっと、特に恋愛もしないまま大学生活が終わり、仕事をこなすだけの彩りのない日々を過ごしている。 あの頃よりも大人になった今考えると及川はすごく先を見ていたんだなと感心させられる。
数日後、花巻に呼び出された。誰かにこの状態を相談して混乱を解消したいと思ってた私は快諾して居酒屋で落ち合った。
「なあ及川から告白されたんだろ」
「嘘でしょ、なんで知ってるの」
「空港に見送りに行ったときに及川が言ってたからバレー部全員知ってるよ」
「 …嘘でしょ…」
確かに及川ならやりかねない、と頭を抱えると花巻は愉快そうに笑った。テーブルに置かれたビールを流し込む。ってことは花巻だけじゃなくて岩泉も松も知ってるのか
「悩んでるふりしてないでさっさと行けば?」
「ふりなんてしてない」
「いくらお前が否定しようと俺から見たらお前はずっと及川のことが好きなように見えるよ」
言葉に詰まる。先日及川から言われたことが思い起こされる。
「…流石に急すぎる。」
「及川だって一応プロのバレーボール選手だからな、選手生命考えたらそりゃだらだらしてるわけにはいかないだろ」
「付き合う飛ばして結婚だよ?親にだってなんて説明すればいいか…」
「え、プロポーズされたの?」
そこまでは知らなかったと笑いながら「さすが大王様」と付け加えた。余計なことをいったかもしれない。
「正直まだより戻した訳でもないのに結婚とか考えられないけど、及川の隣にはいたいと思ってる。」
「それを俺じゃなくあいつに伝えてやれよ、死ぬほど喜ぶぞ。…この前見送った時これで断られたらどうしようとか言ってこの世の終わりみたいな顔してたから。」
「嘘でしょ、余裕満々みたいな顔してたよ」
「お前の前だからだろ。」
あんなに余裕です感出してたのに内心焦ってたのかな。なんてあの日の及川を思い出しては愛しくなった。 そう、どれだけスマートに見せようとも彼は本質的には努力と配慮で成り立っている人なのだ。そんなところが好きだったしその性格故に私と別れることを選んだのだろう。 花巻にも意地張っていたけどやっぱり私は及川のことがまだ好きなのだと痛感した。
「…あーあ、お前とこうやって気軽に飲めなくなるのはさみしくなるけど仕方ないね。」
自分の気持ちを自覚する一方で、花巻の言葉に及川と過ごすということはそういうことか、と思いながら私その日は花巻と過ごす時間を最大限に満喫した。
翌日、及川に連絡したいとLIMEを入れると秒で既読がついた。21:00に改めて連絡し、及川と一緒にいたいと伝えると及川の緊張が解けたのが電話越しでも伝わってきた。嬉しい、ありがとう。早く#dname#に会いたい。その言葉に私も会いたいけど色々準備があるから少し時間はほしいと伝えた。
「#dname#のために一式揃えておくね!」
「なに買うつもり?」
「うーん、食器とかソファとか?俺あんまり家に居ないから最低限のものしか揃ってなくて」
「なくても別に死にはしないから一緒に探そうよ」
「!そうだね!#dname#が来るまでに良いお店ないかメンバーに聞いてみるよ」
「それは助かる。」
「…ねえ#dname#、」
「 ん?」
「決断してくれて、本当にありがとう。絶対お前のこと幸せにするから」
「…こちらこそ」
早く及川に会って二人で観光したい。生で及川のバレーを見たい。二人で暮らしたらやりたいことを各々話し合いながら2ヶ月先のブエノスアイレス行き片道チケットを予約した。
(2024.02.28)