思い出の色を塗りかえて

 大学の入学式で蛍を見つけたときは一目ぼれだった。

 蛍を追いかけてよく知りもしないバレー部のマネージャーになった。やるからには全力で、欲しいものは全て手に入れろ。がモットーだった私はマネージャーとしても部に貢献しながらアプローチを重ね、1年の冬に蛍に告白した。いくら褒めようが押そうが暖簾に腕押し状態だったのでてっきり振られると思っていたが蛍からの返事は意外にもOKだった。もしかしたらそもそも恋愛に関してドライなのかもしれないな、と思いながらも蛍と付き合えたことには感謝極まりないので深く言及せずにお付き合いを続けていた。

 それからなんとなくキスして、デートして、お泊まりデートではじめて蛍とひとつになった。はじめは緊張し過ぎて死ぬかと思ったけど蛍はそんな私の心情を察してかめちゃくちゃに優しかった。あまりにも配慮に長けた行動すぎてもしかして過去に経験があるのかな、なんてふと嫌な憶測が頭をよぎったけど、今私の隣にいるんだから関係ないでしょ、と気持ちに蓋をした。

 そのうち山口くんという蛍の幼馴染を紹介してもらい、時々三人でご飯を食べた。二人の母校烏野バレー部は大学でも少し話に聞く程度だったが山口くんと蛍の口から出る「影山」があのプロバレーボーラー影山飛雄だと知って驚いた。そんなすごい人とやってたんだね、というと蛍は眉間に皺を寄せた。大きな喧嘩はしたことがないが、蛍がこういう表情をする時は不愉快な時だと分かっていたからなんとなくそれ以上影山選手のことは言及しないようにした。

 山口くんと話すと私は知らないことが多いと痛感する。高校時代のバレーのことについても何度かツッキーから聞いてるかと思ってた、と言われたことがある。なんでそんなに#dname#ちゃんに秘密にするんだろう、と聞かれたけど私に答えはわからない、きっと蛍は秘密主義なのかもね。と言って曖昧に笑った。

 3年生。まだ大学生活の半分といえど進路を決めなければならない。それとなく蛍に進路を聞くとぼかされたがどうやら宮城には居るらしい。私もじゃあ宮城で就職先探そうかな、というとまた眉間に皺がよる。なんでだろう、もう私のこと鬱陶しくなっちゃったのかな。

 そして卒業式。バレー部や同じ学部の同期と飲み明かした。もうこうやってみんなで馬鹿みたいに飲むこともないんだろうな、としみじみ感じながら朝になって解散した。この頃はほとんど蛍のマンションに転がり込んでいたが、蛍は12時ごろには帰ってしまったので起こしてしまうのも悪いと思って私はタクシーで家に帰った。
 卒業式の翌日に一人で迎える朝が寂しくて、蛍に連絡しようと思ったが既にメッセージが入っていた。心配するくらいなら昨日くらい一緒にいてくれてもよかったのに。少しだけ暗い気持ちが顔を出す。こんな気持ちになるときは決まって入学式を思い出すように努めていたが、もう4年前となると朧げにしか思い出せない。もしかしたら思い出している蛍の姿は既に私の妄想かもしれない。一体何が本当なんだろう。

 私はアイリスコヤマに就職し、新卒では珍しく人事部に配属になった。初年度は次年度の新卒採用のフォローと社内人事制度の叩き込みで終わった。蛍は博物館の企画担当として色々催し物を検討してるらしい。イベントとか好きじゃないのにね、と笑うと少しムッとするか幾つかのアイディアを出すと機嫌が直った。
 二人でいくつかのアイディアのブラッシュアップをする。ゼミの延長みたいで楽しかった。こんなに何かを二人で話すのは久々かもしれないな、と思ったらどうやら蛍も同じことを思ったらしくいつのまにか二人でベッドに雪崩れ込み朝を迎えた。
 横で眠る蛍の寝顔をみると愛おしさが込み上げる。ああ、やっぱり私は蛍が好きだな。でもそれは顔だけ?交際4年を迎えるがこれが信頼を深めた結果の関係性なのかいわゆる倦怠期というものなのかは私には判断がつかなかった。

 3年目。同じチームの人が突然退職になり、思いがけず私の業務量が増えた。元々仕事出来が良い先輩だったので、同じ品質で成果が出せるわけもなくあちこちに迷惑をかけていたが事情を知っているので上司も私を咎めなかった。だけど仕事をきちんと仕上げられなかったことに対して私はすごく苦しかった。
 一人になりたくなくて蛍の家に帰ったが、蛍から仕事のミスの話なんて聞いたことがなくて私も吐露することができず、「ちょっと仕事が疲れちゃって」とだけ伝えると蛍は優しく抱きしめてくれる。すごく安心する。流れで蛍と唇を重ねたが性欲が湧かずなんとなくそのまま寝てしまった。

 数ヶ月後。蛍から経済的にもメリットがあると思うから同棲しよう。と持ちかけられたので二人で部屋を探した。平日は働くか寝るかで土日その穴埋めをするかのようにほとんど寝るだけの生活になってた中だったので正直会社から近くて広ければなんでも良かったが、そんなことを言うと白紙になりそうな気がしてなんとなくそれらしく取り繕った。

 そして同棲を始めた。はじめて二人名義で借りた家はしばらくの間自分の家という感覚が湧かなかった。自覚はないが多分ずっと気を張り詰めていて、週末には風邪を拗らせて数日間寝込む羽目になった。
 蛍は手際よくお粥を作って私に食べさせてくれた。朝方に汗が気持ち悪くてシャワーを浴びる。その時に見た私の顔は病気とすっぴんが相まって痩せこけてて美しい顔とは対極にいるようだった。こんな顔を蛍に晒していたのかと申し訳なくなった。

 部屋に戻ると私が起きたせいで蛍も起きてしまったのか、スマートフォンを見つめていた。私が戻ってきたことに気づくと慌てたようにそれを伏せて熱は?と聞いてきた。計ってないけど下がったと思う。というと体温計を渡された。冷たい飲み物とってくる、といって蛍は席をたった。

 一瞬だったが私は分かってしまった。蛍が見ていたのは紛れもなくマッチングアプリの画面だった。私と全然違うタイプの人の綺麗な人。でも、もしかしたら見間違いかも。今スマートフォンを裏返せば確かめられる。どうすべきか悩んでいる間に蛍が戻ってきてしまったのでもう一度確かめる術は無くなった。

 体調が治ってからもその件には触れず、ひたすら仕事に打ち込む日々が続いた。元々土日に二人で何かする、ということもなくなりかけてたが、もし先約でもあると言われたらあのマッチングアプリのことを思い出してしまいそうで益々2人で出かけるなんてことは無くなった。

 同棲を始めてから、新居と同棲に互いにテンションがあがり数回セックスをしたがそれきりだった。恋人らしきことを何もしていない。これはもはや同棲じゃなくてただのルームシェアではないだろうか。蛍に振られる要素が揃い過ぎていて捨てられた後のことを想像した。
 どうしたら蛍は私のことを好きになってくれるんだろう。そもそも好きかなんてわからないまま7年も付き合ってる私に解は持ち合わせていなかった。涙がじわりと滲んだが、一人になれる場所もなく私はベッドの中で蛍にバレないように声と感情を殺すように努めた。

 蛍の帰りが遅い日が増えて私が1人でいる時間が増えた。残業だと聞いてるけど元々そんなに残業するタイプではなかった。どうせあの人と会ってるんだろな。もう私に興味がないならいっそ振ってくれたればいいのに。自然とそう思ってしまったことに驚く。
 もうあの時みたいに付き合ってるだけで幸せだなんて言えるほど能天気ではなくなってしまった。

*

「ちょっと話したいことがあるんだけど今日何時ごろ帰ってくる?」

 久々に帰宅報告以外の連絡を蛍から受けた。直感的に振られる、と思った。19時に上がると伝えてスマートフォンを閉じる。私もマッチングアプリやった方がいいのかな。でも私がやったところで大人の恋愛の始め方なんて私は知らない。蛍ならそつなくこなせるんだろうな。

 半ば勢いでアプリをインストールする、定められたプロフィールを入れると身分証が求められたのでそこまでの勇気はまだ出なくてアプリを閉じた。

 とてもじゃないけど仕事なんて手につかなくて18:00には今日やらなければいけない最低限の仕事は終わったけど早めに帰る気にもなれず適当にその辺をふらついていた。ショッピングモールを見ていても何も感じない。欲しいとも思わずただ綺麗にディスプレイされたそれらを眺めた。

 家に帰ると夕食の香りがした。既に蛍が作ってくれていたらしい。回鍋肉にツナと水菜のサラダ。卵スープ。こんな時くらい手を抜いてくれてもいいのにきちんとサラダもスープも作ってくれたことに複雑な気持ちになる。自分はただ何もせず寄り道していただけなので人の格の違いのようなものを見せつけられた気がした。

 すぐに話って何?と聞くような雰囲気でもなく、二人で夕食をとった。時折テレビについて一言二言会話したが笑えるほど上澄みだけの会話だった。

 やがて二人とも夕食を終え、食器の後片付けをしているなか、蛍が深刻そうな顔をして口を開いた。

 ああ、終わってしまう。嫌だ、聞きたくないな。

 そう思った瞬間涙がぼろぼろと溢れた。自分でも驚くくらい静かに涙が溢れたので慌ててティッシュで目元を抑える。

「なんで泣いてるの」

「だって蛍別れようって言おうとしてるでしょ、分かってるよ、分かってるけどやっぱり嫌だ…」

「は?何言ってるの」

「だって、」

 堰を切ったように蛍がマッチングアプリを見てたこと、帰りが遅いこと、最近恋人らしいことが出来てないことを伝えてもう別れたいのだと思ってたと告げると蛍は一瞬なんのことだと面食らったような表情を浮かべた後に自分の記憶からそれらしきものを探してるようだった。

「…ああ、あれのことね」

 私の言っていたことに心当たりがあったのか蛍はそういうと大きくため息をついた。

「聞いて。まずマッチングアプリは僕じゃない。ほんと馬鹿馬鹿しいんだけど高校のバレーでお世話になった先輩が弄ばれてフラれるのが続いてて人間不信になりかけてるから誰がいい子かって話がLIMEグループで聞かれてた。その時のスクリーンショットのことだと思う。」

まあそもそもそうやって写真を共有すること自体悪趣味だと思ったからそれからその話はしてない、蛍はそう続けた。

「次に家に帰るのが遅いことだけど、前に山口からも聞いたと思うけど田中さんってバレー部の先輩が結婚したのは聞いたでしょ?僕たちより後に付き合い始めたのにいつのまにか結婚って知って僕達もそろそろ考えなきゃって焦ってた。
でもいざ考えてみると何をすべきかわからないから田中さんに色々聞いてたの。飲み会が増えたと思ったなら多分それ。それで思ってはいたけど想定以上にお金がかかるってことがわかって今でも足りてないわけじゃないけど何かあった時に不便かけないように仕事もいつもより残業してたかもしれない。」

 思ってたことと真逆のことが蛍の口から紡がれる。

「色々準備進めてたけどこれで#dname#に断られたらどうしようとか、最近しんどそうな顔してるから一人にしたくなくて同棲始めたけどかえって負荷かけてるんじゃないか。なんてことばかり考えてた。」

「…てっきりもう興味がなくなっちゃったんだと思ってた。」

「#dname#は昔から自信があるくせに変なところでマイナス思考で責任感が強いよね。でも僕が#dname#を好きじゃないって思われたのはちょっと心外。」

「…ごめんなさい」

 そう言って蛍は私の後ろから手を回して抱きつく。

「それで、今日言いたかったことなんだけど」

 蛍の右腕が首元から外れる。なにやらポケットを探っている。目の前に差し出された箱ははじめてみたが私はこの中に何があるか知っている。

「もうそんな心配させたくないから、もし良ければ僕と結婚してくれない?」

 そう言って差し出されたエンゲージリング。ぐちゃぐちゃの顔で私は頷いた。


(2024.03.04)

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