戦友の教えを胸に抱いて

「ごめん、#dname#。別れよう。」

 突然のことだった、けど遠くない未来にこんな結末を迎えるとは思っていた。

「君は僕のことを大切にしてくれてるのは分かってるつもりだけど、それでも不安が勝ってしまうんだ。」とまるで私が浮気でもしたかのような言い草で、彼はそう言って私から去っていった。

 恋愛に心をあまり割いていなかったため、振られたところで心がちぎれそうとか、一晩中泣き明かすとかそういったことは無いが、やっぱり気持ちの良いものではない。何となくそのまま家に帰る気にはなれなくて、通り道にある小さなカフェに足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」

 ドアを開けると外からはよくわからなかったが、想像よりも広い空間で、閑散としていた。客はちらほらといるが騒々しくない、思い思いに一人の時間を楽しんでいるようだった。カウンターにはいかにもカフェのマスターですといった様な年配の男性とアルバイトらしき同じ年くらいのお兄さんが一人だった。
 ドアベルに反応したお兄さんと目が合う。進めてくれた席に座り、メニューを開く。珈琲とケーキのセットを注文した。待っている間、気を紛らわせたくて、本でも入っていないかと、鞄の中を探していた。すると、カウンターから騒がしい声がした。

「え、うそ、俺今日シフトじゃねーの?」

「そーだよ馬鹿、お前は明日だよ。」

「うわーめんどくせー、エプロンだけ更衣室においてきて良いっすか?」

 ちらり、と視線をやると、そこには同じクラスの黒尾が居た。会話の内容から察するにここでバイトしているらしい。バレー部だからてっきりバイトなんてしてないと思ったのだが始めたのかな?でももうすぐ受験だというのに、大丈夫なのかな。まあ成績が悪いってイメージもないなあ。どこかの大学でも行くのかな?同じクラスなのに全然知らないや。そう、考えを巡らせていると、黒尾の視線がこちらに移った。手をひらり、と私の方に振ると、アルバイトのお兄さんに何かを告げて、私の方へ来た。

「#dname#じゃん。めずらしーね」

「はじめて来たよ。ここで働いてたんだね。」

 そういって私の正面の席に座る。特別仲が良かった思い出はないが、誰とでもすぐ打ち解けられるのが彼の特徴だろう。#dname#と呼ばれることに特別な違和感も抱くこと無く話が進んだ。今日バイトだと思ったのに休みだった、と先ほどの会話の内容を聞いたり、今日の課題の締切について適当な話をしていると、ケーキと珈琲が運ばれてきた。

「あれ、黒尾も珈琲頼んだの?」

「ただ帰るってのもなんだか癪だしな、珍しく#dname#もいるし。」

 そう言って珈琲を一口含んだ。「あ、でも#dname#は一人のほうが良かった?」そう言ってまずい、と言わんばかりの表情をして私を見つめる。意外とこういう所は律儀なんだ、と感心する。笑いながら大丈夫だと告げると安心したような笑みを浮かべ、またコーヒーを飲んだ。いい香りがテーブルに立ち込める。私も黒尾の真似をして珈琲を飲む。

「むしろ一人じゃないほうがありがたいかも」

「…へぇ、アイツと喧嘩でもしたの?」

「喧嘩っていうかね、フラれた。」

「その割には平然としてるね。」

「どう見えてるかわからないですけど、そこそこ傷ついてます。」

 黒尾、面識あるんだ。続けてそう言うと、バスケ部とバレー部の主将同士だから色々と顔を合わせることがあると教えてくれた。あー、そういえば、そうだったな、黒尾もバレー部で、主将やってたんだ。外見からは責任感とか、統率力とか無さそうに見えるのに、意外と面倒見がいいんだよな。

「結構長くなかったお前ら?どーしたの」

「なんか、不安なんだって。」

「こーやって男と二人で喫茶店行ったりとかしてたの?」

「してないよ。てゆーか今だって偶然でしょ、偶然。」

 黒尾がくぐもった笑みをこぼし、わりいと呟く。私は怒った姿勢を崩さずに、ケーキを一口頬張った。添加物の味がせず、優しい甘さが口の中に広がる。多幸感に包まれて思わず口が緩む。それを見た黒尾は単純だなと私を笑った。

「もーすぐ私達大学行くでしょ?私が新しい環境で新しい人を見つけるんじゃないかって不安だったみたい。」

「へーあいつ意外と情けねえんだな。」

「まあ、多分、私にもそう思わせる節があったんだと思うんだけどね。」

 そう言ってまたケーキを小さく切る。一口頂戴、と黒尾がいうので、差したケーキの欠片を口元に運んだ。黒尾が美味しそうにケーキを口に含んだ。薄い唇を閉じて咀嚼する。あれ、こんなに黒尾って色っぽかったっけ。あまり近くで見つめたことがなかったクラスメイトをここぞとばかりにまじまじと見つめた。そのうち視線に気づかれそうになったため、慌てて目を伏せた。

「そういうところが危なっかしいんじゃない?」

 そう言ってペロリと自分の唇を舐めて、コーヒーを飲む。むっとしたが、自分の行動を振り返ると何も言い返すことが出来なかったので、黙ってコーヒーを飲んだ。

「…次はもう、縛られたくない。お互い自由に出来る関係が良い。」

「恋したい盛りの高校生にそんなの求めるのは酷じゃない?理想を高くし過ぎると彼氏できないよ、#dname#チャン?」

「うるさいな、黒尾はどうなのよ。」

「そうだねえ…、俺は欲しくなったらどれだけかかっても確実に手に入れるよ。」

 随分自信ありげだなと思いながら彼にまつわる話を思い出す。〇〇が黒尾に告白したなんて噂はよく聞くものの、誰かと付き合っていたり、好きだったり、といった噂は聞いたことがなかった。欲しいものはないってことなのだろうか。

「…黒尾今誰とも付き合ってないよね?色々聞くけど、黒尾こそ高望みなんじゃない?」

「俺がそんな奴に見えるの?」

どうだろうね。そう言って寄せておいた苺をフォークで突き刺す。黒尾が真剣な目で私を見てくるので、苺が宙で止まった。

何、と言おうと思ったが、それよりも早く黒尾の唇が動いた。

「俺はずっと待ってたよ。#dname#がアイツから離れる日を。」

 本当はもう少し後に言おうと思ってたんだけど、バイト先に来てるんだもん。そう言って笑みを浮かべて私のフォークの先から苺を引き抜く。自身の口元に持って行こうとするので、私は思わずあ、と呟いた。

「それ、私の苺。」

「…お前、俺が告白してるのに、苺のほうが大事なの?」

 黒尾は笑いながら私の唇に苺を押し当てた。唇を開くと口の中に苺が放り込まれる。されるがままの私に黒尾は愉快そうだった。

 私の頭の中は、正直苺を味わうどころではなかった。今のは告白だったのか。何度も、言葉を繰り返してみるが、やっぱりどう考えても告白だ。

「結構#dname#の条件、満たしてると思うけど、俺?」

「…からかってるなら、本当にタチ悪いよ。」

「本気だよ。なんなら、お試しで付き合ってやってよ、俺と。」

 本気だってこと、わからせてやるから。そう言って顔を近づけて、真剣な顔で私を見つめてきた。心臓の鼓動が早まる。 顔に熱が集まるのを感じるとともに、黒尾がふ、と笑って身を引いた。

「…まあ、急に言われても困るよな。ゆーっくり考えといてくれ。」

そう言って、伝票を掴んで黒尾は席を立ってしまった。

 レジで談笑しながらお会計を済ませ、ドアに手をかけた瞬間、また私の方を振り返って微笑む。私は、どう振る舞うべきかわからないまま、黒尾が店を後にするのを眺めていた。頭のなかが黒尾で一杯になる。

 どうやら、ゆっくり考える暇もなく、結論は出てしまったようだ。


(2015.12.15 / 2024.03.07加筆修正)

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