06 急落下

 まずい、どれくらい寝ていただろう。
 手元に放られたスマホを見ると時刻は2時間をすぎていた。寝過ぎた。慌てて思い起きあがろうとするも目眩がして立てない。チームに連絡しなければ、と思いチャットを開くと及川さんからのメッセージが入っていた。

「ダメだったら頼ってって言ったでしょ」

 そのチャットと合わせてプロジェクトのチームに及川さんが入っているのに気づいた、私の仕事を引き継いでくれているらしい。こんな仕事させてる場合じゃないのに、申し訳ない。そう思いながらも身体はもう動ける状態じゃなかったので現状だけ簡潔に伝えて何かあれば健康管理室にいるから来て欲しいと添えて送った。

 それからしばらくするとゼリーと飲み物片手に及川さんが来た。

「調子どう?帰れそう?」

「多分そろそろ帰れると思います。すみませんご迷惑かけて…」

 そう言って立ちあがろうとするがまだ少しふらつくことに気づいてその場に留まる。ゆっくりとであれば立ち上がれるかも、と思いそろそろと動くと及川さんはだめじゃん、と笑った。

「そんなんで帰られても心配だよ。タクシーで帰ろ、家どこ?」

「河原町のほうです」

「近いね、助かる。流石に一人で返せないから俺も行くよ。」

 何度目になる申し訳ないだろうか、一人で帰れる、と言いたいところだが正直家まで帰れるのか経験したことのない症状に不安を覚えた私はその提案を有り難く受け取ることにした。

 及川さんは健康管理室の人と何か話して車椅子を持ってきた。歩いて変えるつもりだったので少しギョッとする。

「歩けますよ、大丈夫です」

「#dname#ちゃんの大丈夫信用ならないから。お願いだから乗って、転ばれでもしたら及川さん一生凹むから。」

 そう言いながらベッドサイドにあった私の荷物を肩にかけると起きれる?と私に尋ねた。及川さんのサポートを受けながらゆっくりと起き上がる。立ち上がった瞬間目が回りそうになったが車椅子にもたれかかるとギリギリ意識を保てた。うすら気持ち悪いがこのままここにいるわけにもいかないので吐き気を抑えながらタクシーに向かう。

 外の空気にあたると少しだけ気分がマシになった。極力頭を揺らさないように注意しながらタクシーは私を家へ運んだ。及川さんは私の表情からギリギリ意識を保ってると読み取ったのかあまり会話することもなく家に着いた。

 タクシーを降りた後、及川さんにもたれかかりながら歩いた。及川さんが私のカバンからキーを取り出し解錠する。無事家に着いたことに安堵し上着も靴下も脱ぎ捨ててベッドに横たわった。ここ数週間仕事しては帰って寝ての生活だったからお世辞にも部屋は綺麗とは言えない。さぞ引いてるだろうなと思いつつも自分はそれどころではないのでとにかくこの気持ち悪さを鎮めるために深呼吸を繰り返し五感から受け取る刺激を少しでも減らそうと目を閉じた。

 寝てるのか覚醒しているのか区別がつかないようなまどろみの中で自分の仕事がことごとく失敗する夢をみた。
 これは現実ではないとは分かっているのに、やけにリアルな描写に心臓が嫌な音を立てる。辞めてしまったあの子の顔が浮かぶ。 今頃元気にしてるのかな。私はやっぱり間違っていた?自分の何が間違っていて何が正しいのかが分からない、苦しい。
 私も彼女たちみたいに匙を投げられる性格だったらどれだけ楽だっただろう。完璧主義に近い性格のせいでこうなっていることは理解していた。でも手を抜けるほど器用な性格は持ち合わせていなかった。どうすればいいのか分からないまま、目の前の仕事を取りこぼさないようにし続けていたら気づけば今日になっていた。

 つらい。いつまでこうして全力で走らなければいけないのだろう。毎日毎日新しいストレスの連続で10年後に楽になっている未来が想像できない。60歳まであと人生の何倍だろう。終わりの見えないゴールが息苦しい。もう、何もかも辞めたい。

 ぱ、と目が覚めると自分が涙を流しているのが分かった。
 ティッシュを探そうと頭を持ち上げると先ほどのようなめまいの感覚は薄れているのが分かった。 「ちょっと、安静にしてて」その声で及川さんが私の家にいることを思い出した。え、今何時。どれくらい待たせてしまっていただろうか。時計をみると時刻はすでに22:00を回っていた。

「だいぶ治ったので大丈夫です。ご迷惑おかけしました…。」

「いいよ、そんなの。それより大丈夫?ちゃんと寝れてる?」

「ここ最近ちゃんと寝れてなかったですけど大丈夫です、慣れてるので」

「#dname#ちゃんがそんなことに慣れなくていいの、ほんとにもううちの会社優秀な人への人使い荒いよね、信じられない」

 そういって及川さんは私のほうに駆け寄りながらティッシュを渡した。涙が出ているのがばれたのだろう。ちょっと嫌な夢をみて、というと及川さんは苦い顔をした。

「俺は、#dname#ちゃんの仕事のやりかたが間違っているとは思わないし、必要以上に辞めた子のことで責任追わなくていいと思うよ。#dname#ちゃんは十分頑張ってるしその頑張りが彼女には向いてなかっただけのことだから。」

 だからそんな顔しないでよ。そう言って及川さんはそのまま私の頭を撫でた。思いがけない接触に思わず肩が跳ねた。仕事のフォローからメンタルケアまでしてもらって恥ずかしさと申し訳なさが湧き上がってくる。その一言でまた涙が溢れてしまった。

「私、彼女にすごいねっていつも褒めてもらってたんです。でも彼女自己肯定感が低くて私はそんなことないよってずっと言ってたんですけど、嫌味だと思われたかもしれない。

 学生の頃はそれなりにうまくやれてたと思ってたのに、他人とこんなに分かり合えないなんて思ったの初めてでどうしたらいいのかわからないです。

 仕事だってつらいけど、仕方ないからやってるだけなのに#dfam#さんはすごいとか、なんでも出来る、とかみんなが言ってくるから弱音もはけない。 本当は全てもう投げ出したい。頼れる人が誰もいなくてつらい。」

 堰を切ったように心の内を吐露すると及川さんはそうだね、つらいよね。と言う。寂しさと辛さを紛らわせたくて及川さんのその腕に顔を埋めた。及川さんはそのまま私を抱きしめた。

「#dname#ちゃんが頑張ってるのは分かってるよ。つらかったよね。でももう大丈夫だよ。来週からは俺も入るし俺の上司にもエスカレーション入ったから近いうちにちゃんとできる人がリーダーとして入ってくれる。アイツはどうなるか知らないけど。」

「及川さんは優しいですね」

「…#dname#ちゃんには特別対応だからね」

 頭をなでる及川さんの手が私の額を優しくなぞった。前髪をよけてのぞき込むように私の目を見た。「本当は分かってるでしょ。」それがどういう意味かなんて聞かなくても分かった。一瞬蛍さんの顔が過ぎったが見ないふりしてぐしゃぐしゃの顔のまま私は及川さんと唇が触れた。

 流されたのはお互いに自覚していた。何度か輪郭を確かめるように唇を這わせた後、及川さんはそっと私を離した。

「…ごめん、弱ってるときにつけ込むなんてしたくないから本当は今日そんな気なかった、また改めて言わせて。」

 そう言って及川さんは「とはいえ何かあったら連絡してね。心配だから」と言い残して家を後にした。
 感情がぐちゃぐちゃで何も気の利いたことが言えなかった私は言われるがまま頷き及川さんを見送った。このまま及川さんに溺れてしまうのがいっそ楽なのかもしれない。クローゼットに掛けられたユニフォームから目を逸らすようにしながら着替えを取った。


(2024.03.12)

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