12 このままではいられない
あれからなんとなく月島くんを見ると胸がざわめくようになった。気づけば目で追ってしまうが察しのいい彼に感づかれたくないあまり意識的に彼に視線を向けないようにすることもあった。合宿までの数日間、そういった瞬間は幾度かあれど基本的には今までと変わりなく私たちは良好な関係を続けていた。
「清水先輩とはもう話したの?」
「うん、なんかメインは昼食と夕食の手伝いして欲しいって」
「へえ…#dfam#さんご飯作れるの?」
「失礼だな、作れるよ!ちゃんと練習もしておくし!」
ムキになって反論してから練習するは蛇足だったと反省する。焦って月島くんの顔を見ると意地の悪い笑顔が浮かんでいた。
「そう、#dfam#さんの練習の成果楽しみだなあ。あ、ちなみに僕、知ってると思うけど甘党だからね。」
「知ってるけどさすがにケーキなんて作れないよ」
「そこまで僕が常識無いと思ってたの?デザートにイチゴつけてよ」
案に"僕が甘党だと貴方は知ってるでしょ"と無意識に特別感を出してくる月島くんはずるい。
馬鹿にするような笑みだったけど、どこか子供に向けるみたいな目線を向けてきた月島くん。私は一瞬むっとした顔を浮かべながらも仕方ないな…と呟く。しかし、メニューの最終決定は武田先生と清水先輩だ。私に決定権はない。
「…私だけが決めるんじゃないからね、武田先生と相談しまーす。」
連休に向けて買い出しの材料や合宿施設にあるキッチン用品などの確認を清水先輩にする必要があったから、月島くんと山口くんと並んで体育館に向かった。なんだか私もバレー部の一員みたいで新鮮だ。中学の頃はこんな風に放課後集まったこともあったなと一瞬思い出しては胸が痛む。どうしても中学の記憶は彼女とセットになってしまうことが多い。
体育館に入ると菅原さんとばちり、と目があった。相変わらず屈託のない笑顔を見せてくれる菅原さん。私もつられて笑顔を浮かべながら会釈する。あくまでここは部活動の場で私は一年生なんだからあまり馴れ馴れしくするのも失礼だと思ってそのまま私は清水さんを探した。
ボトルラックを両腕に抱えている清水さんを見つけたのでその後を追う。
「清水先輩、手伝いますよ。」
そういって給水所の隣に並ぶと清水先輩は一瞬驚いたように目を見開いたあと、発する言葉を選んでいるかのようにゆっくりと話し始めた。
「#dfam#さんは合宿の手伝いだけでいいから、待ってて」
おそらく清水先輩なりの遠慮だろうか。いや、素人が急に手伝えることなど無いと言ってるのかもしれない。どっちだろう…ともやもやしているとふと以前菅原さんから聞いた言葉が過ぎった
“清水は人に気を使うことばっかり考えてるからあんまり俺たちにも頼ってくれねーんだよ、言葉が少ないから冷たいって思われるかもしれないけどいいやつだから、仲良くしてやってよ。”
菅原さんもそういってたし、都合よく考えよう。そう思い引くことなく私はもう一度清水先輩の目を覗き込んだ。
「でも、どうせ時間持て余すので、私にできそうなところであればやらせてください」
清水先輩は少し間をおいてから「ありがとう」と私に向かってほほ笑みかけ、ボトルに水を入れてほしいと言ってきた。粉の濃さの好みは選手によって違うからそれは私がやる。と補足してくれた。なるほど、そういう塩梅があるのか…。清水先輩に言われたとおりにボトルをすすぎ、いくつか氷を入れた後水を満タンまで注いだ。
「…急にマネージャーの手伝いなんてお願いしてごめんなさい。迷惑じゃない?」
隣に並ぶ清水さんがぽつりとつぶやいた。
「いや、そんな、寧ろ合宿中も一部しか手伝えなくてごめんなさい。本当はもっと手伝えたら良いんですけど…」
「#dfam#さん、写真撮ってるんでしょ、菅原から聞いたよ。」
「そうなんです、それでどうしても何日かは作業をしたくて…」
「菅原が#dfam#さんの写真すごく良いって言ってた、私も見てみたい。」
そういってほほ笑んだ清水先輩に思わず可愛いと思ってしまった。菅原さんが言う通り清水先輩はすごく優しい人なんだろう。今度持ってきます。と伝えて最後のボトルを清水先輩に渡した。
その後、ランニングの合間を縫って清水先輩から買い出しのチェックリストを確認してもらった。幾つかあると便利なアイテムを教えてもらった後、当日は鵜飼監督が車を出してくれるということでそこで買い出しをすることになった。鵜飼監督、金髪だし声大きいし怖いんだよな、絶対に粗相はしないでおこうと心に誓った。
あっという間の五月二日。授業もほどほどに放課後鵜飼監督が居るという坂ノ下商店に向かう。カウンターで新聞を読む鵜飼監督に恐る恐る臨時マネージャーである旨を伝えると「ああ、あの時のお前か。」と言われた。どうやら練習試合の日のことを指していたらしい。
軽トラックの助手席に乗せてもらう。煙草の匂いが充満していて大人のひとの車だ、と緊張したせいかべらべらと練習試合の日の感想を一人でひたすらに話し続けていた。
鵜飼監督は適当に相槌を打ってくれていたものの私がバレーで興奮したことがどうやら嬉しいらしく時折柔らかい笑顔を浮かべていた。
思ってたより怖い人じゃないかもしれない、緊張感が徐々に解ける。
「あの時はすまんな、帰りにうちのおやじどもが絡んでたらしーじゃねえか」
「いや、おじさんだなんて思ってないですし、皆さん若いしバレーも上手でびっくりしました。ただ大人の人って先生やコンテストのとき以外あまり会わないので緊張しましたが。」
「あの時の一人が嶋田マートのやつだからな、また変な絡み方してたら注意しとくから言ってくれ」
そんな変なことは何も言われてないです、と笑いながらもサーブの軌道が特徴的だった人ですか?と尋ねると鵜飼監督はほう、と一言呟きながらそうだよ。眼鏡の。と補足してきた。
嶋田マートに到着し、野菜、油、キッチンペーパーと続き、精肉コーナーを徘徊していると、私について回っている鵜飼監督を見つけたらしい嶋田さんが近づいてきた。
隣にいる私を見て一瞬ぎょっとする。
「お前、その絵面はまずいよ。」
「ちげえよ!こいつは臨時マネだよ、合宿やるんだよ今晩から」
「あーなるほどね…いや、だとしてもまずいわ、気をつけろよ。#dfam#さんもなんかあったらここに駆けこんでくれていいからね~。」
車中の会話とは真逆のことを言われて私は思わず笑う。と同時に私の名前を憶えていたことに驚く。嶋田さんは私たちがカートに入れたお肉の幾つかに割引シールを貼って颯爽と去っていった。
「…ったく、まあそういうことだからさっさと買い物しちまうぞ」
「はい!」
鵜飼監督を不審者扱いさせるわけには行けないので私は手元のメモを見ながらかごに片っ端から放り込んだ。レジを抜けた後鵜飼監督は米やら重そうな荷物を私の手から奪い担いだ。こういうところが大人のスマートさか。と思わず惚れ惚れしてしまう。
車に乗り込み他愛もない話をしながら烏野高校へ戻る。鵜飼監督もわたしが具体的にいつ居るかまでは把握していないらしく、基本的に今日は夜ご飯だけ、明日は日中でその後は練習試合の日になることを伝える。
「…でもなんでそんな変則的に期間限定マネージャーやる気になったんだ?」
「元々先日の件もあってバレー部にはお世話になっているので…ただ私他にやりたいことがあって、それで数日中抜けさせてもらってるんです。すみません。」
「いや、手伝ってもらえるだけバレー部の連中はありがたいと思ってるだろうけどよ…。ああ、写真やってるんだっけ?嶋田が言ってたな。」
「あ、そうなんです、一応新聞に載ってたのでそれで嶋田さんが覚えていてくださったのかもです。」
「まあそれはどうかな…でも新聞って結構すげえじゃねえか、賞かなんか取ったんだろ?」
「そうですね、でも中学のころのなので、これからも撮れるかはわからないです。それでちょっと作業をしたくてGWの数日はそっちに集中します。」
「なるほどねえ…まあ#dfam#が決めたことならいいけどよ、誰にでもいい顔してたら成り立たなくなることもあるからな。何かをあきらめる勇気も持たないと手に入れられるもんも手に入れられないぞ。それだけは注意しとけ。」
鵜飼監督は写真家としての活動とバレー部の手伝いのことを言っているのは分かってるが、とっさに菅原さんと月島くんの顔が思い浮かんだ。
”誰にでもいい顔してたら成り立たなくなる”
二兎を追う者は一兎をも得ず。ありふれた当たり前の言葉。鵜飼監督に言われずとも理解しておくべきだったそれを真正面からぶつけられて思わず言葉に詰まった。おそらく余程顔に出ていたのだろう、鵜飼さんは慌てて「でも色々見聞きすることも大事だからバランスは考えていけ、若いころのほうが何でもできる機会が多い、ハードルも低いから。」とフォローしてくれた。
確かにそうですね、とだけ答えてからまた私たちは当たり障りのない会話に戻った。
合宿施設の前で食料たちと私を下ろしてもらい、鵜飼監督は体育館へと向かった。私は一人広い合宿施設のキッチンでカレーの準備に取り掛かる。 給食では見たことあるが実際に使ったことはない2升炊飯器が目の前にそびえたつ。勝手がわからない機械に怯えつつご飯を炊き野菜の下ごしらえを進めた。
大鍋で豚肉を炒めてから野菜たちを入れる。大量の水を入れた後ルッコラを加えて蓋をする。
清水先輩もここまで大きいサイズの炊飯器は使ったことが無いというのでインターネットの英知を集めて炊いてみたがこればかりは練習の使用が無かったので神頼みである。 合わせて水切りしたレタスを大きなボウルに入れておく。ギリギリまで冷蔵庫で冷やすためにラップをかける。
ご飯が炊けた音とともに遠くのほうから賑やかな声が聞こえてきた。部活が終わったのだろう。
蓋を開けて恐る恐るご飯を混ぜる、感触は問題なさそうだ。しゃもじで掬った一片を冷ましながら掌に載せて食べてみる。 すると、流石インターネット。やや硬めのカレーライスに合いそうな塩梅でご飯が炊けていた。良かった…。カレールーだけあってもご飯がまずかったら最悪だからな。
「臨時マネージャーだけ先にご飯食べてるのずるくない?」
その声に肩が跳ねる。振り返ると月島くんだった。
「…これは味見です!」
「へえ、どうだった?」
「月島くんでも美味しくいただいてもらえるくらいには大丈夫です!ご心配なく!」
「へー楽しみ」
そういって月島くんが鍋なども一通り物色する。ちょっと評価されているみたいでどきどきする。
「で、お皿はこれでいいの?」
「いいけど…先輩たち待たなくていいの?」
もう食べるのか?という意味で尋ねたつもりだが月島君ははあ?と素っ頓狂な声を出した。
「手伝うよって言ってるの、大変でしょさすがに人数分」
「…え、でも、月島くんも選手だし、疲れてるでしょ」
「#dfam#さんこそ臨時なんだから無理しないでよ、明日から寝込まれても困るの僕たちなんだから」
反射のように怒ってみるもその嫌味が優しさだと分かっている。お言葉に甘えて月島くんに配膳を手伝ってもらっていると武田先生や清水先輩も食堂に集まってきた。二人は月島くんを見るなり一瞬驚いた表情を浮かべたものの何を言うこともなくてきぱきと準備を進めてくれた。
「うおー美味そうー!いい匂い!!」
そういって日向くんと影山くんが食堂に入ってきた。影山くんは言葉こそ発していなかったものの目が輝いているのが分かった。よっぽどおなかがすいているのだろう。口に合うといいけど…ちょっとどきどきしてきた…
「ってうお!月島!お前だけ先駆けずりーぞ!!」
「別に先に食べてるわけじゃないでしょ何がずるいの単細胞たち」
「なんで俺も含んでんだよ何にも言ってねーだろ」
「誰も王様だなんて言ってないでしょ、手伝ってるだけでしょ、少しは配慮しなよ君たちも」
「へー珍しいこともあるんだな」
日向くんは何の気なしに言っていたようだが私にはそれがいまいち理解できなかった。月島くんは言葉こそ辛口だがなんだかんだこういうことは配慮して手伝ってくれるイメージがあった。ふいに先日の言葉を思い出す。
”なんでいっつもそんなに優しくしてくれるの、”
あの時の質問を再び頭の中で繰り返す。まるでそれが聞こえたかのように月島くんが私を見る。一瞬視線が交わる。やましいことなんて何もしていないのになんだか気恥ずかしくて目線を外してしまった。さりげなく再度月島くんの後頭部に目をやると耳が赤いように見えた。何と言われようと絶対に月島くんは優しい。
その姿を見て閉じ込めていた熱が爆発しそうになる。ねえ、あの時あんな事言ってたけど、少しは期待しても良いですか。その優しさは私だけに向けてくれるものですか。
「おっカレーカレー、腹減った~!」
私たちの静寂を破るように、菅原さんの声が響いた。先輩たちも続いて食堂に入ってきた。今度は鵜飼監督の言葉が蘇る。
”何かをあきらめる勇気も持たないと手に入れられるもんも手に入れられないぞ”
入学初日に絶望しかなかった私は、たった一か月で沢山のものを欲しがってしまう我儘になってしまった。
(2024.08.12)